「第42回公益社団法人日本口腔インプラント学会学術大会」に出席するため 先週の土曜日より 大阪国際会議場(グランキューブ大阪) に行っておりました。
今回の主題は 「インプラント 患者目線での安心医療とは」 となっておりまして 市民公開講座(作家の五木寛之氏の講演)など 一般の方を対象としたものもあり 、従来よりも親しみやすい雰囲気を醸し出しておりました。
土曜日の学会終了後 懇親会が 会議場近くの「堂島リバーフォーラム」であったのですが、私の所属する「東京形成歯科研究会」からも奥寺会長を筆頭に何人かの先生が いらっしゃっており インプラント談義 で話が弾みました。
お隣のリーガロイヤルホテルからの 大阪国際会議場
堂島リバーフォーラムでの懇親会
大阪が誇る世界一のサクソフォンアンサンブル「ミ・ベモルサクソフォンアンサンブル」による演奏
当院は 御陰様でインプラント希望の患者様が漸増傾向にありますが、 今後とも 患者様サイドからも納得して頂ける「安心・安全なインプラント治療」「最新・最良のインプラント治療」を目指していきたいと思っている次第であります。
さて 私は 大阪とは昔から結構縁があって よく足を運んでいますが、 最近は学会でも何度か行っていますので 特に中之島近辺はそこそこ詳しくなりましたよ。
「中之島ブルース」は 私が昔 よくカラオケで唄っていた曲です。 日曜日の学会終了後には、 知り合いの先生と神戸の方へ向かいました。 神戸牛を食する為にです、ハイ。 2時間ほどハーバーランド方面を散歩したのですが、この街は もしかしたら日本で最も居留地の面影を感じさせる街かもしれませんね。 鎖国政策に終止符が打たれた明治初期において 「東洋における居留地として最も良く設計された美しい街である」との評価を神戸は受けていたようです。
私は先日「シャンハイ」という戦争映画をテレビで観ました。 1842年 当時の清はイギリスとのアヘン戦争に敗れ、 上海は イギリス、フランス、イタリア、アメリカなど、欧米列強、そして日本が 各々租界(外国人居留地)を形成し、東洋のパリ、東洋の魔都と呼ばれておりました。
日本租界であった 虹口(ほんきゅ)地区は、第二次世界大戦中にドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人避難民 (18,000人程) を 日本軍がドイツ人から保護することにも使用されたといわれています。
繁栄を誇ったこの街も その後 第一次、第二次上海事変、 そして太平洋戦争へと引き込まれることになるわけです。
今も居留地の面影が色濃く残るの神戸の街を歩きながら 今一度 平和の尊さを再認識すると共に 二度と同じ過ちを繰り返してはいけない と思ったのでありました。
「そして神戸」
我ながら どうして この流れで終わるかなぁー? それは単に私のカラオケの十八番の曲だからです、はい。 申し訳ありません。 「恋唄」もよく唄っていました。
最近は あんまりカラオケ行かなくなりましたネェー。 その代り 車の中で唄っていますデス。